SUBJECT FILE NO. IJM-0017
CLASSIFICATION: HISTORICAL ARCHIVE
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven
作曲家・ピアニスト

SECTION I -- 人物概要
| 氏名 | ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
|---|---|
| 英名 | Ludwig van Beethoven |
| 出身国 | ドイツ |
| 生没年 | 1770–1827 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 分野 | 音楽 |
| 肩書 | 作曲家・ピアニスト |
SECTION II -- 経歴
1770年、ドイツのボンに宮廷歌手の父のもとに生まれたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、酒癖の悪い父から「第二のモーツァルトに仕立てる」と過酷な音楽教育を受けて育った。夜中に叩き起こされ泣きながらクラヴィーアに向かう少年時代だったが、それでも音楽への愛は失われなかった。17歳で母を亡くし、家計を支えるため宮廷楽団に雇われる。
最初の転機は1792年、師ハイドンに招かれウィーンへ移住したことだった。即興演奏の名手として貴族たちを熱狂させ、作曲家としてもベートーヴェンの名はみるみる高まっていく。しかし28歳頃から耳鳴りと難聴に襲われ、音楽家として致命的なこの障害は彼を絶望のどん底に叩き落とした。
1802年、弟たちに宛てて自殺をも考えたと告白する「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことが第二の、そして最大の転機となる。彼は遺書を書きながらも、「芸術が、ただ芸術だけが私を引き留めた」と記し、運命と闘う決意を固めた。以後、交響曲第3番『英雄』から始まる中期の傑作群を生み出し、『運命』『田園』、ピアノソナタ『月光』『熱情』、歌劇『フィデリオ』と次々と完成させる。
完全に聴力を失った晩年、彼は頭の中に響く音だけを頼りに交響曲第9番『合唱付き』を書き上げ、1824年の初演で自らタクトを振った。観客の大喝采に気づかず、ソリストに促されて振り返ったという逸話は、音楽史上最も感動的な瞬間として語り継がれる。1827年、56歳でウィーンに没。
「歓喜の歌」は今EUの公式賛歌として、人類友愛の象徴であり続けている。
SECTION III -- 年表
SECTION IV -- 名言
“音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高い啓示である。”
“私は運命の喉を締め上げてやる。運命に完全に打ち負かされることは決してない。”
SECTION V -- エピソード
[A]聴こえなかった喝采
交響曲第9番の初演時、ベートーヴェンは完全に聴力を失っていた。演奏終了後、聴衆の熱狂的な拍手に気づかず、ソリストに促されて振り返って初めて観客の反応を目にしたと伝えられている。
SECTION VI -- 影響と遺産
ベートーヴェンは古典派からロマン派への橋渡しを果たし、交響曲・ソナタ・協奏曲の規模と感情表現の幅を拡大した。聴力を失いながらも傑作を生み出し続けたことは、芸術史上最も驚異的な偉業の一つである。第九交響曲の「歓喜の歌」はEUの公式賛歌となり、人類の友愛の普遍的象徴となった。
SECTION VII -- 代表作・主な功績
- [01]交響曲第9番「合唱付き」(1824年)
- [02]交響曲第5番「運命」(1808年)
- [03]ピアノソナタ第14番「月光」(1801年)
- [04]エリーゼのために(1810年頃)
- [05]歌劇「フィデリオ」(1805年、1814年改訂)
