SUBJECT FILE NO. IJM-0034
CLASSIFICATION: HISTORICAL ARCHIVE
ニコラ・テスラ
Nikola Tesla
発明家・電気技師

SECTION I -- 人物概要
| 氏名 | ニコラ・テスラ |
|---|---|
| 英名 | Nikola Tesla |
| 出身国 | オーストリア |
| 生没年 | 1856–1943 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 分野 | 科学 |
| 肩書 | 発明家・電気技師 |
SECTION II -- 経歴
1856年、オーストリア帝国領の現クロアチア、スミリャン村の正教会司祭の家に生まれたニコラ・テスラは、発明好きの母と厳格な父のもとで育った。幼少期から完璧な映像記憶(直観像記憶)の持ち主で、機械の構造を頭の中で完全に組み立ててから作ることができたと伝えられる。17歳の時、最愛の兄が事故で亡くなる悲劇を経験し、その後コレラに感染し生死の境をさまよった。
最初の転機は療養中に父と交わした約束で、回復すればオーストリア工科大学に進学するという願いが叶い、電気工学を本格的に学ぶ道が開けた。そこでは昼夜問わず勉強し、教授に心配されるほどだった。ブダペストの電話会社やパリのエジソン子会社を経て、1884年、所持金わずか4セントと推薦状を手にアメリカへ渡る。
第二の転機はトーマス・エジソンの研究所での働き方をめぐって決裂し、独立して交流電流方式の発明を追求したことである。ジョージ・ウェスティングハウスの支援を得て、1888年に交流誘導モーターの特許を取得。エジソンの直流方式と激しく競り合う「電流戦争」を経て、1893年シカゴ万博の照明、1895年ナイアガラ水力発電所の受注により交流方式は世界標準となった。
その後もテスラコイルや無線通信の先駆的研究を続けたが、壮大な無線電力送信計画は資金難で頓挫。特許を手放し借金に苦しんだ晩年は、ニューヨークのホテルに住み鳩を愛する孤独な日々だった。1943年、86歳で独り世を去ったが、現代電力網や無線通信は彼の遺産に支えられ続けている。
SECTION III -- 年表
SECTION IV -- 名言
“現在は彼らのものだが、私が本当に取り組んだ未来は私のものだ。”
“宇宙の秘密を知りたければ、エネルギー、周波数、振動の観点から考えなさい。”
SECTION V -- エピソード
[A]図面なしで機械を作る天才
テスラは完全な映像記憶(直観像記憶)を持ち、複雑な機械を頭の中で完全に視覚化してから製作に取りかかった。図面をほとんど必要としなかったという。
SECTION VI -- 影響と遺産
テスラの交流送電システムは「電流戦争」でエジソンの直流に勝利し、世界の電力送電の標準となった。テスラコイルや交流モーターを含む発明は長距離送電を可能にし、近代世界に電力を供給している。無線通信・再生可能エネルギー・ロボティクスに関する先見的なアイデアは時代を数十年先取りしていた。
SECTION VII -- 代表作・主な功績
- [01]交流誘導モーターの特許(1888年)
- [02]テスラコイル(1891年)
- [03]多相交流送電システム
- [04]無線通信の実験(1893年)
- [05]コロラドスプリングスでの無線送電実験(1899年)


