SUBJECT FILE NO. IJM-0041
CLASSIFICATION: HISTORICAL ARCHIVE
武則天
Wu Zetian
中国皇帝

SECTION I -- 人物概要
| 氏名 | 武則天 |
|---|---|
| 英名 | Wu Zetian |
| 出身国 | 中国 |
| 生没年 | 624–705 |
| 性別 | 女性 |
| 世紀 | 6–10世紀 |
| 分野 | 政治 |
| 肩書 | 中国皇帝 |
SECTION II -- 経歴
624年、唐王朝草創期の中国・山西省の木材商人武士彠の娘として生まれた武則天(本名は武照)は、父が唐の建国に財を投じた功で高官に取り立てられた家庭で育った。幼い頃から聡明で読書を好み、弓馬と書に親しむ闊達な少女だった。12歳で父を亡くし、継母や兄たちから冷たい扱いを受けたが、母は彼女に強い意志を植え付けたと伝えられる。
最初の転機は14歳のとき、唐の太宗李世民に目をかけられ後宮の才人(下級の側室)として宮廷に入ったことである。しかし若い皇太子(後の高宗)と密かに親しくなり、太宗の崩御後は慣例通り尼として感業寺に入れられた。高宗は忘れられず彼女を宮廷に戻し、王皇后を排除して655年、武則天を正皇后に据えた。
第二の転機は高宗の病弱化にともない彼女が実質的に国政を掌握していった過程で、息子である中宗・睿宗を次々と廃立し、690年、67歳にして自ら「神聖皇帝」を宣言、国号を「周」と改めた。中国4000年の歴史で唯一、自らの名で帝位に就いた女性となる。恐怖政治も行った彼女は一方で、科挙制度を大幅に拡充し、家柄ではなく実力で官僚を登用する仕組みを定着させ、仏教を庇護して龍門石窟を完成させ、20字ほどの新しい漢字まで作った。
彼女の治世下、農業生産は伸び領土も拡大した。705年、病に倒れ82歳で退位直後に没した彼女は、乾陵の前に一字も刻まれぬ「無字碑」を遺し、後世の評価に委ねた。中国史上最大のジェンダー障壁を打ち破った女帝として今も論争の的となっている。
SECTION III -- 年表
SECTION IV -- 名言
“決めるのは私だ。”
SECTION V -- エピソード
[A]最下位の側室から唯一の女帝へ
武則天は後宮の最下位の側室から身を起こし、中国4000年の歴史で唯一の女性皇帝となった。その治世15年間、帝国は繁栄を謳歌した。
SECTION VI -- 影響と遺産
武則天は自ら皇帝として即位した唯一の女性として、中国史上究極のジェンダー障壁を打ち破った。科挙制度を拡充し、出自ではなく能力に基づいて官僚を選抜することで中国の統治を専門化した。その治世下では領土拡大・経済繁栄・文化的隆盛が実現し、効果的な統治が性別を超えることを証明した。
SECTION VII -- 代表作・主な功績
- [01]周王朝の樹立(690年)
- [02]科挙制度の拡充
- [03]仏教の庇護と龍門石窟の建設
- [04]新しい漢字の創造
- [05]乾陵の無字碑



