SUBJECT FILE NO. IJM-0047
CLASSIFICATION: HISTORICAL ARCHIVE
ベンジャミン・フランクリン
Benjamin Franklin
建国の父・科学者・外交官
SECTION I -- 人物概要
| 氏名 | ベンジャミン・フランクリン |
|---|---|
| 英名 | Benjamin Franklin |
| 出身国 | アメリカ |
| 生没年 | 1706–1790 |
| 性別 | 男性 |
| 世紀 | 16–18世紀 |
| 分野 | 政治 |
| 肩書 | 建国の父・科学者・外交官 |
SECTION II -- 経歴
1706年、信教の自由を求めてイングランドから移住した石鹸・蝋燭職人ジョサイア・フランクリンの17人の子の15番目としてボストンに生まれたベンジャミン・フランクリンは、質素な信仰篤い家庭のなかで育った。学校に通えたのはわずか2年、10歳で父の仕事を手伝い、12歳で兄ジェイムズが発行するボストン初期の独立系新聞『ニューイングランド・クーラント』の印刷工として年季奉公に入ったが、膨大な読書で自らを教育し、寝る間を惜しんで文体を磨いた。
最初の転機は少年時代の事件である。兄に執筆を禁じられていた彼は、未亡人「サイレンス・ドゥグッド」名義の風刺的投稿をひそかに新聞に送り込み、街の話題をさらったが、ばれると兄に激しく叱責され殴られた。17歳で奉公を捨てフィラデルフィアへ逃れた彼は、三つのパンを小脇にかかえて上陸した自らの姿を後に自伝に刻む。
数年で独立した印刷所を持ち、『ペンシルヴェニア・ガゼット』紙と『貧しいリチャードの暦』で植民地中に名を広め、40歳で経済的独立を果たして科学と公共の仕事に専念する道を選んだ。第二の転機は1752年、雷雨のなかで凧を揚げ、雷の正体が電気であることを実験的に示したことである。この偉業で王立協会コプリー・メダルを受け、避雷針・フランクリンストーブ・二重焦点眼鏡などの実用的発明を続けたが、彼はいずれも特許を取らず「有用な知識は万人のもの」と公言した。
晩年は政治の舞台へと歩を進め、1776年に独立宣言起草委員の一人として署名し、1778年からはパリ駐在大使としてフランス王室との同盟を実現してアメリカ独立戦争の勝利を決定づけた。1787年の憲法制定会議では最年長の代議員として尊敬を集め、1790年にフィラデルフィアで84歳の生涯を閉じた時、彼はすでにアメリカ人の理想そのものの化身となっていた。
SECTION III -- 年表
SECTION IV -- 名言
“知識への投資は、つねに最高の利子を生む。”
“言われたことは忘れる。教えられたことは覚える。参加したことは身につく。”
SECTION V -- エピソード
[A]凧の実験と危険
1752年の凧の実験は、実際には死の危険と隣り合わせだった。フランクリンは小屋の下で乾いた地面に立ち、絹のリボンに結んだ金属の鍵にだけ触れて身を守ったとされる。翌年同じ実験を試みたロシアの科学者ゲオルク・リヒマンは球電に打たれて即死しており、フランクリンの生還は幸運でもあった。
SECTION VI -- 影響と遺産
フランクリンは著述・科学・外交を通じてアメリカ人の自画像そのものを形づくった。米国初の公共図書館・消防団・郵便制度を創設し、電気の実験と実用的発明によってヨーロッパにも名を轟かせ、独立宣言と合衆国憲法の双方に署名した唯一の人物として共和国の礎を築いた。
SECTION VII -- 代表作・主な功績
- [01]独立宣言(1776年)
- [02]貧しいリチャードの暦(1732-1758年)
- [03]凧の実験(1752年)
- [04]二重焦点眼鏡(1784年)
- [05]フランクリンストーブ(1742年)



